「親不知海岸までの道をたどって」
プロローグ
自 平成17年8月27日
〜 至平成17年9月9日
たらっぺ山の会 石橋 (筆)


目  次
T はじめに
U 日本海縦走を始めるにあたって
V 登山活動
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W 旅が終わって




T はじめに

 山を本格的に始めて7年、自分なりには浅くもなくとりわけ深くもなく登山という遊びをやってきた。学生時代から20年間、燃え続けたサッカーに比べたら努力したり、それほどの喜怒哀楽はなかったけど他人と競争することもなく、大好きな自然の中にずっといられることはこの上なく素晴しくなにより他人に左右されることなく行動できることがなによりも新鮮だった。

 体力の衰えなどもありサッカーをこれ以上やるには厳しく、この先も継続できる登山を今後やっていこうと昨年あたりから考えていた。今までの自分の山行は会社の休みの関係上、長期のものは少なく制約の多いものがほとんどであった。日本の北アルプスの山々ですら満足に歩いたことがないことに気づき会社を退職する寸前にいっちょ日本海まで歩いてみることを考えついた。


U 日本海縦走を始めるにあたって
 
  北アルプスといっても穂高・雲の平・黒部・剣・鹿島槍・白馬と広範囲であるので上高地を出発地点として到着地点は親不知海岸とする。

現在は写真家・ガイドの志水哲也氏が高校時代に歩いた夏季・北アルプス全山縦走は表銀座から上高地に入り焼岳から穂高連峰〜黒部五郎〜薬師〜剣〜黒部ダム〜水晶〜雲ノ平〜針ノ木〜鹿島槍〜白馬〜犬ヶ岳〜親不知という42日間の記録である。

 自分は上高地から入山し親不知までとし、三俣蓮華から薬師・立山方面は省き、一日の行動時間を9時間以内として計算すると13日で走破できることになった。多くの要因で停滞することは多々あるが。
夏山の慌ただしさも静まってくる8月後半を出発予定とする。計画準備を進めていると山ボードの仲間で白馬のホテルで働いている飯塚から同行したいと告げられた。

 白馬岳の山頂で会うことを約束してはいたが、まさか今回の山行を共にすることになるとは頼もしいというか不安も実に多くなってきた。彼はテント泊も登山靴を履いたことすらなく自分の負担も増大してしまうのではないか!でもそんな負担も彼の穏やかな性格であれば長い山行で相殺してくてることを期待して快諾してしまう。
彼との打ち合わせで食料は個人持参でテント泊という骨格がきまり朝夕の2食と昼の行動食は個人で用意することになりテントは自分でガスは飯塚が担ぐことになる。
 しかし飯塚は登山用具をほとんど所持していなかったのである。ザックと雨具、シュラフは自分のお古で間に合わせてもらいあとは揃えてもらう。登山靴だけは入念に選ぶよう指示した。あとは気持ちを整えつつ山行の準備をするだけだ。ザックは25kgでおさまり少しばかりほっとした。山行中は2人だけど歩いている時は色んなことを考えられるので将来のことをシュミレーションしてみようか、…前の会社で過ごしたことを省みてみようか、行動中の楽しさや辛さよりも頭の中の時間の有効利用について想像してみた。

 ただ僕たち二人は時間の制約もなく社会からの制約も全ての面で心配する必要がない。急がなくても一歩一歩着実に歩いていこう。何年か前から実家に帰りたいという気持ちが強くなりこのままだと帰ることなんてできない…。そのことが退社した大きな要因だ。ただ辞めるということはまた新たな社会の一員として機能していかなければならないので特に山で働いている人を観察してより主観的になって自分をシュミレイトできればと考えた。今回は山小屋で働いている人を良く観ていくつもりだ。

 今までの登山とは少し違う北アルプスの山なみを人、自然との出会いを大切に歩を進めていきたいと考えた。
 小旅行的に例えるなら「人力で観光」てなことだろうか、出発直前に二人とも5分刈りにして気合をいれる。
 トラさんみたいな僕たちの北アルプス・トリップが開幕だ!

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