「親不知海岸までの道をたどって」 11日目
自 平成17年8月27日〜 至平成17年9月9日
たらっぺ山の会 石橋 (筆)

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9月6日 雨
   五竜山荘(7:00)→白馬山荘(16:00)
白馬岳山頂

白馬岳山頂
 
 もう一度受け付けの女の子に会ってから出発しようと小屋に寄る。そうすると愛知の半田市の初老の紳士がコーヒーをおごってくれた。一人で百名山を歩いているという。今回は百名山ハンターが多数いたようだ。

  朝からパワーも充電でき力強く台風に向かって出発する。さすがに低気圧の接近で寒くなくカッパの内側は汗でびしょ濡れである。

 2時間で唐松山荘着。山荘も入念な防護壁で窓が覆われている。二重の戸を開けると従業員はストーブで暖をとっていた。中の休憩室に無料で入っていいよと言われ靴を脱いで上がる。自分の靴は中も濡れているが、相棒の靴は新品なので乾いている。小屋の人が心配そうに今回の台風は直撃だから飛ばされないようにねとあながち冗談ぽくなく言ってくれた。実はこの人に見覚えがあり何年か前に不帰V峰Dルンゼを滑りに来て山頂がガスでドロップポイント(雪庇の状況)がわからず小屋を訪ねると親切に教えてくれたのがこの人であった。自分のことも薄覚えではあるが記憶に残っていたらしかった。結局このときは八方尾根を忠実に滑り下山してしまった。

 休憩室には菊池哲夫さん(山岳スキーヤー兼写真家)の写真が飾られていた。最近の白馬はバックカントリーのガイド会社がいくつもでき雪山を滑る人が多いらしい。まあゲレンデよりか真っ白な山の斜面のほうが確実に気持ちは良い。相棒も自分に谷川、白馬、立山に連れられてきて山のよさにはまり10年近く勤めた会社を辞め白馬のホテルに勤務していたのだ。

 結局、30分も休んでしまった。これからは不帰のキレットが待ち構えている。今、国内のトップの滑り手は不帰から厳冬期に滑降しているようだ。八方のスキー場から見ると雪の壁にしか見えないが。

 不帰の峰は難なく通過。15時に天狗山荘に到着。天場の受付をしようとすると絶対にやめてくださいと言われてしまった。確かに北東(白馬大雪渓)から風が吹き上げてきていた。白馬村の職員だというお姉さんは頑張って白馬の小屋までいったらと言う。急げば夕方には着くし、ここよりか白馬の小屋のほうが安全だという。

 5月に福田さん、竹中さん、大久保君と剣沢でメイストームに遭遇してエスパース(強度に優れるテント)のポールが夜半に折れ竹中さんと自分で人間支柱になった苦い記憶がある。今回はエスパース凧で日本海に驚異的な速さで到着することも想像するが、小屋で牛丼を食べ白馬の小屋へ向けて出発する。

 お姉さんが鑓ケ岳、杓子岳の西面をトラバースする巻き道を教えてくれた。雨・風も本当に強くなってきた。今回の旅はすべてテント泊を予定していた。先を急ぎながらどうにか小屋にとまらない方法はないものか考えたが雪倉岳の避難小屋に入るのがそれに近かったが白馬から4時間の距離では無理だ。おそらく相棒も自分が告げない限りテントに泊まると思っているだろう。晴れていれば綺麗な縦走路を急ぎ足で通過した。

 白馬の頂上小屋が見えてきた。ここで相棒に今日は小屋に泊まろうと告げる。山頂よりの白馬山荘までの最後の石の道をズンズンとすすんだ。17時に小屋に着き受付をすると山荘ができて100年経ったらしく記念手ぬぐいを頂く。会計時何故か万札がいとおしく思った。小屋の乾燥室に行き濡れているもの全てを乾かす。(ほとんど防水袋にいれているもの以外すべて。)

 部屋に入りすぐに食堂へ行き飯を食べる。1500人泊まれる小屋に自分たちで貸し切りかと思ったらカップルが居た。30歳くらいで山口県から白馬岳を登りに来て足留めされてしまっているそうだ。登山経験は浅く大雪渓が崩壊している箇所(杓子からの土砂の崩落で死者が出た)を通過した時のことを赤裸々に話してくれた。僕たちも少しばかり大げさに相槌をうつ。本当は飯に集中してそんなどころではないのに。食後小屋のテレビを見ていると台風の速度は遅く明日も暴風圏内のようだ。昼過ぎに出発できればなと考えた。携帯電話が圏外だったので小屋の電話で関係者に無事であることを伝える。そして早々と布団に入る。

冷池山荘→五竜山荘<<==>>白馬山荘停滞