「親不知海岸までの道をたどって」 14日目
自 平成17年8月27日〜 至平成17年9月9日
たらっぺ山の会 石橋 (筆)

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9月9日 晴れ
   栂海山荘(6:40)→天嶮日本海(14:30)
栂海山荘からの朝焼け

栂海山荘からの朝焼け



栂海新道入り口

栂海新道入り口



縦走路より日本海を望む

縦走路より日本海を望む



栂海新道登山口


栂海新道登山口
  
 何故か早く目が覚め外にでると日本海の朝焼けが見える。寒かったがしばらくたたずむ。ここからは僕たちの日本海へ続く道がはっきりと見える。

 5時に栂海山荘を後にする。登山道は樹林の中で水たまりがあり歩きにくい。歩いていても蚊が襲ってくるしむわっと湿気がまとわりつく。今日は長い旅の最終日、そのわりには足早になっている。もっとゆっくり歩かなくては・・と気持ちと体が矛盾している。急坂をあがると白鳥小屋に着く。無人の小屋なので中で寝そべる。相棒とスニッカーズを半分にして食べる。どうやら相棒の行動食が切れたようだ。白馬山荘の停滞で食べてしまったのかなー。小屋の屋根に上がる鉄梯子があったので登る。うわーっと日本海がきれいに見える。波の模様まで見える。カムチャッカは見えなかったが海は広い。想像していた通りの日本海だ。

 このあたりの登山道は上越の山と似ていて木の根などが露出して土も滑りやすい。時たま足の踏ん張りが効かずこける。お互いに疲れが出始めたらしく言葉も少ない。2度ほど舗装路を横切る。さすがに下界はまだ残暑が厳しく大汗がでてくる。地図を確認するとまだ距離はありそうだ。でもここからが本当に長かった。枝道などがあり何回も疑う。相棒とは差がついてしまったので待つことにする。

 トラックのエンジン音が聞こえるではないか。道路が絶壁の上にあるので自分自身の予想と地形が違っていたことに気づく。最後は急下降で道路まできた。

 栂海新道の入り口が木枠の門でできていた。5分ほど待つと相棒がきた。2人でずっと歩いてきたのだから一緒にゴール。目の前の小さなホテルの自動販売機のジュースでまずは乾杯。肝心な海はコンクリートとテトラポッドで覆われている。地図で確認すると親知不駅の近くに浜があるようだ。30分ほど国道を歩く。浜には人影は少なかった。泳いでいる人なんていなかった。当初は海に飛び込み歓喜の雄たけびを上げるはずだったのに。日本海に触れただけだった。

 辿り着いて以外と冷めた自分自身、冷静な自分自身であった。それは相棒もだ。もうはしゃぎすぎる年ではないし。無人の親不知駅で電車を待つ。そしていつもと同じの下山報告を会代表の坂田宅に連絡する。電車に乗るとそのスピード感と学校帰りの女子高校生たちに現実の世界が身にしみる。僕たちはこの社会では堕落者だけど自己の人生においては満ち足りていた。

 糸魚川駅で降りコンビニのATMで金を下ろして100円ショップで身の回り品を買い込む。そして近くの銭湯へいき、14日分の汗を流す。おばちゃんとジュースを飲みながらたわいもない話をしながらのんびりとくつろぐ。糸魚川は小さな町なので直江津のビジネスホテルで宿泊する。寝袋と土の敷き布団がなじんできていたのでベッドが窮屈な気がしたのは言うまでもない。

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