「親不知海岸までの道をたどって」 6日目
自 平成17年8月27日〜 至平成17年9月9日
たらっぺ山の会 石橋 (筆)

プロローグ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 エピローグ

9月1日 晴れ 
   烏帽子小屋(6:00)→船越小屋(15:00)
烏帽子岳

烏帽子岳



船窪岳までの悪路

船窪岳までの悪路
   昨日、小屋からの帰り単独の小泉首相そっくりな人に出会った。今日小屋の前を通るとその人は小屋の前で準備をしていた。挨拶をすると「どこまで?」と尋ねられたので「日本海まで」と答えると「よく休み取れたね〜」と感心している風。相棒が会社を辞めて歩いていることを告げると「俺も長野の工場でもう定年で、団塊がここ数年で大量に抜けていくからアンちゃんたちみたいな年頃を募集し始めているよ」と小泉首相そっくりに励ましてくれた。思わず「小泉首相に似ていますね」と言うとさらにニコニコになり自分たちもニコニコで烏帽子小屋を発つ。相棒が自民党大勝ですねと言っている。自分も何故か応援してしまいたい気持ちになる。

 烏帽子岳は登山道から外れるが岩峰なのでザックをおいて往復する。ピークからはこれからの鹿島槍、大好きな剣岳が大きく目に映る。しばらくすでに秋空のもとたたずんでしまった。日本海に出るまでは過去の道のりを思い返さないようにしている。前進あるのみだ。

 船窪のテント場までは樹林帯での急降下・急上昇の繰り返しと花崗岩のざれた区間、高瀬ダム側の顕著な崩壊と登山道は非常に悪かった。テント場は点在していて山に張るのと等しかった。ただ樹林の中で高瀬ダムからの風もあり快適なサイトであった。

 実はこの旅に6年前に買った[24の瞳]を持ってきたのだが相棒に取られてしまった。
難しい内容ではないが三分の一くらいで挫折してしまった。山の上で心身清らかな状態で読んでおくことが大切だと持参した。悪天での停滞時のためにと純粋な物語を選択したのだ。

 旅もまだ半分に至らないので後半にお預けで主にテントに入ってからはラジオを聴いている。天気情報は夕方必ず確認することにしている。また朝はラジオを流すと長距離ドライバー向けの曲が聞こえてくる。演歌は好きではないが自分たちが学生時代の曲を聴くとあの当時を懐かしむ。現代社会から隔離されて人間本来の野生さや感受性が正常になってきたようだ。

 今日の夕飯はアルファ米にワカメースープと自家製梅干、塩ひとさじを入れて煮込んだおじやとイワシの缶詰である。梅干の酸味が利いて食をそそる。相棒はアルファ米の五目御飯とスープというパターンが多い。アルファ米にジフィーズのおかずは飽きるので缶詰やふりかけ、レトルトのカレーなどの重量はあるが栄養価の高い嗜好もまずまずの食料計画にした。特に良かったのは梅干で毎日食べていた。汗で失われた塩分を補給してくれたはずだ。

 相棒もテント生活に大分慣れてきた様子で設営、撤収もスムーズに息が合ってきた。一日一箱のマイルドセブンと缶ビールは欠かせないようだ。がんばった時は二本買っていた。

 それにしても水晶からここまで人に会わなかった。この領域はマイナーなのだろうか。僕は穂高方面より気に入ったが。明日からは後立に入る、今までより頻繁に訪れている山々なので安堵感がある。

 僕たちがここに居られること、明日からの道のりも着実に進めるよう全てに感謝をささげ眠りにつく。

三俣山荘→烏帽子小屋<<==>>船越小屋→針の木小屋